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退院後の変化について

手術は背中を3カ所(頚椎、胸椎、腰椎)をぱっくりと開いて施術された。概ね成功だったと患者の視点からでも思うし今となって何故に3カ所も開く必要があったのか理解できている。

 

しかし当初はなんで・・・???とか思う事もあるし難病とか言われても・・・なんだか分からない、脳が整理されていない状態で、重病でかなりヤバイ状況であるにも関わらず、深刻に思えていない自分がいたのは死ぬ病気では無いなど生き死に関わる事でないのが分っていたからかもしれない。

その時点で考えていた事は仕事や所用など心配事は山ほどあれど、ともかく一早く動けるように背中の痛みを今すぐでも取ってもらえるように、足や手に力(握力)が入るように・・・普通に生活できるように!と願う事だったと思う。

 

入院直前は一人でトイレや車椅子にも乗れない状態なのになぜか重病と思えず、リハビリで元通りになると根拠無く思ってた。

今、冷静に振り返ればおかしいだろ!とツッコミ所が多々あるのだが、動かなくなっていく体でも脱線しながら、苦労しながらも日々仕事を含めて何とか進めていた事も発見が遅れた原因の一つだと思う。(それでも不可思議な転倒やトイレや風呂からの脱出に恐ろしい時間がかかっていた事もあるのだが・・・なぜにおかしいと思わない??)

 

もう一つの遅れた原因は病院に通っていた事だ。この2年で関わっていた病院は個人の整形クリニック、医院が2つ、総合病院、整形専門病院と中小4カ所(他に整骨院も行った)で体を治療してきた。

 

何かあれば先生方が自然と気づいてアドバイスがあると勝手に思いこんでいた(本来はなるべく異変等を伝えるべき)。そしてリハビリや治療を施していた持病の腰痛ではなく、頚椎が主な悪化原因であった事、それが分らなかった理由は腰痛以外の他の病気が重なった不幸、そして頚椎から影響が受けやすい上半身や手・腕に影響が大きく出てこなかったのもあったかなと。(ただ、元々の持病の腰痛に関しては解決したわけではない。今回の病気とは次元の違う話になります)

 

では仮に2年前に原因が分かっていたとして難病にかかることや手術が避ける事ができたか?と言えば答えは「NO」で残念ながらこれは運命だったということです。

 

良かったと言う言い方はおかしいけれど、癌のように早期に分かっていれば何とかなったと言う事がないので、それに対しての後悔が少なかったのかなと。

 

分かっていたとしたら、心と仕事休業の準備や段取りができた事、後遺症の軽減ができたかも?ということはあったろう。

 

しかし、なぜこの病気になるのか?

 

まぁ根本治療を含めて現時点で分からないから難病であり、この病気に関しては経過観察し、ある限界ラインを突破した時(日常生活に影響が大きく出てきた時)に手術という方法を取る事を考える、施術するのが唯一の方法となるそうだ。

 

今、日本では大きな地震がくる直前にTVや携帯に教えてくれるようになった。

 

先にこの病が分かる事、それは地震のほんの少し先の予報と同じような感じで大事の少し前の心構えかな。少しの事だけど、それでも大きな事だと思うけど・・・やっぱ難病ってワードだけでもビビります。

 

難病なんだと実感したのは手術前の病院のベッドの上で痛みもあったけど寝られなくて色んな考えが巡るとなんだか不安と先の見えない明日に涙した時。ようやく自分の置かれている状況が理解できてきた。言葉じゃなくてね・・・(TT)

 

この病気が発見できたのは転倒による頭部損傷で救急車で運ばれたからかもしれないし、自分が精密検査してもらおうと決断し段取りを組めた日が救急車で運ばれた日(週)であったので救急車で行かなくても分かったかもしれない。

 

何もしなくても動けなくなれば救急車呼んだだろうし(呼べたか?は別問題として)病院で精密検査は結局はあったろう・・・

行きつけの総合病院で分かったとしてそこから専門病院に転院になるはずだし、比較的近場となれば今回、手術した病院かもしくはこの難病の治療(手術)実績のある(後で調べて分かった)南大阪医療センターに行く事になったはず。

 

そしてこれも退院してから分かったのだが、手術した病院も大きくはないものの、まずまずの評判で実績もあるという事だった。結果的に治療した病院で間違いではなかった事は不幸中の幸いだったのかもしれない。

 

<体調について>

 

・手術した病院からリハビリ病院に転院して退院し現在に至るわけですが、まずリハビリ入院していた時から気になっていた右太腿の筋肉痛と言う表現が合うか分かりませんがソレがある。その影響(痛み)で右足の可動域が狭く靴下がはけない。(サポートグッズを使えば問題ない)靴もスリッポンでないと今は厳しい。

 

・足裏全体の痺れ、従来と違う足の接地部の力の入り方により歩く時の痛み。ゴツゴツしている。特にフローリングなどフラットで硬い床面は厳しい。(靴を履いている外では軽減されてはいる)

 

・暖かくなり改善されてきたがひざ下の血流が悪く色が他の部分と明らかに違う。足の指が動かしにくい。指を開いたりしにくい。(感覚は問題ないが神経に損傷その他の影響・後遺症だと思われる)

 

・ふくらはぎは細く、筋力が低下したまま(それでも退院時よりは幾らかマシにはなっている)

 

・ 膝の肉が削ぎ落ちて痛みで立膝や膝をついての作業が出来ない。

 

・下肢に関してはまとめると筋力不足により段差を上る事が困難。(元に戻れなく無くとも回復にはある程度時間がかかるのか?)外出時に杖が無いと不安定、転倒の可能性が高い。早く歩けない。短距離しか歩けない(現在、杖有でも1km以内)。脚立も手の支え、持てるヤツしか上がれない、3段が限界。(ある程度、腕力でカバー)

  

・上肢は背中の手術傷の影響もあり乾燥やツッパリ感が大きく手がキレイに上げれない反ると痛みがある。肩が上がりにくいので上着を着るのに多少苦労する。両手小指と薬指に痺れと痛み。(幸い仕事には影響がほとんどない・もしくは他指でリカバリーできている)

 

・普段リュックで荷物を背負うが重い物は厳しい。

 

・靭帯が骨化の影響か下の物が取りにくく痛みが発生する。膝や足首の可動が狭いのでどうしても腰の動きだけに頼る事になる。

 

・床から立ち上がるのに苦労する。脚力不足もあり上手く体が使えていない(使えない)

 

※痺れと痛みに関してはある程度は薬による軽減はされてはいる。

 

<改善された部分>

 

・背中や腰の痛みにより横になれなかったのが解消され無事、ベッドで睡眠できる。(手術前の半年は横になれず椅子で寝ていた・当然、睡眠は浅く寝て起きての繰り返し)

 

・退院時より幾分は力が付いた事、慣れた事により家中や仕事場(店)では人の力を借りず杖なしで動けるようになった。

 

・握力も35辺りまで回復してきたので日常生活や仕事では問題ない。

 

・物を落としにくくなった。(手術前は何故か物をよく落とした・神経損傷、圧迫の影響だった)

 

・指がつったりする回数が減ってきた。

 

・車の運転も不安なくできるようになった。(唯一、首の左右に振っての視認が若干痛い)

 

 

と簡単に書けばこの辺り。いつかバイクに乗りたい、リターンライダーになりたいなと思ったがこれは少なくとも数年は厳しいかなと。(もう一生、無理な可能性も・・・)でも今年中には自転車(ママチャリ)は乗れるようになりたいと思ってる。

 

仕事については外がセーブ状態になっており正直、経済的には厳しい状況が続いています。保険等で補填してますが、今回の難病に関する分に関しては国の補助があるものの入院費や食費などは自費ですし、保険は入院給付金のみで、まさか3大疾病や大怪我、骨折以外で半年も入院するなんて頭には無かったので厳しいですね(TT)

 

次回は帰宅、復帰してからの周辺の変化、仕事状況の変化なども書いていけたらと思います。

 

 

ではまた。